川口工業総合病院 建て替え
施設の老巧化のため建て替えを検討してきた川口工業総合病院(川口市青木)は、川口工業健康保険組合と株式会社麻生が2008年4月1日に、川口工業総合病院地区に係る都市計画変更の要請を行った。計画では、敷地面積6,857m² に病院施設機能と住宅棟の高齢者対応住宅・介護医療等の生活利便施設の連携による、医療・福祉拠点地区の形成を目指し、現在駐車場として利用している敷地東側に新しく病院棟(高さ30メートル)を建て替え、現在の病院棟の跡地に住宅棟(高さ100メートル以内)を建設する。そのほか一般に開放する広場や前面道路の歩道と一体的 な歩道状空地(4メートル)も整備される。また、7月29日~8月12日には都市計画原案の縦覧を行った。
川口工業総合病院は、施設の老朽化が著しく再整備が必要とのことから、2005年1月に病院建設準備委員会が組織され、検討が続けられてきたが、2006年5月には健保組合主体での建替えを断念し、民間への経営承継を視野に入れ、2007年7月20日の組合会で病院分離決議が行われた。その後、医療グループ4社からの提案を受け、2008年2月22日に組合会で株式会社麻生との基本合意書の締結が承認、同日付で合意書が取り交わされ、病院経営を移譲することになった。
*川口工業総合病院 : 川口市青木1-18-15。地域の鋳物組合、機械組合などが設立した川口工業健康保険組合の直営病院。昭和34(1959)年に現在地にて川口工業東部病院として開設。昭和47(1972)年には、川口市西部地域にあった組合直営の川口工業病院を吸収合併。昭和51(1976)年に川口工業総合病院と改称する。病床数199床(建替後も200床を超えない)。2007年6月末には医師不足から分娩の取扱いを休止、2007年12月28日には小児科の外来診療を中止している。
*麻生グループ:1872年、創業者 麻生太吉が目尾(しゃかのお)御用炭山を採掘し石炭産業に着手したことにその端を発し、セメント及び生コン製造販売事業のほか、日本でも屈指の規模を誇る民間病院(飯塚病院)を核とした健康・医療・福祉関連事業も行う。